これは自分自身の性根の部分もあるかもしれないが、
あれからずっと考えるばかりの1年だったかもしれない。
言葉にできることが少なすぎて、被災地の友人・知人にはなんと言えばいいのかもわからず、ただ便りを書くだけで、「偽善」のような正体不明のものを避けてばかりで、新地に来てからの暮しを無事に過ごすことで精一杯だったかもしれない。
震災前の短い間だったけれど、福島時代にはとても貴重な経験をさせていただいた、
志野流香道 白河・会津教場の先生の思いを拝見し、改めてお世話になった方々への感謝の気持ちがまた強くなった今・・・
そして、厳しい現実は決して被災地だけのことではない、ということを、形は違うけど一緒に抱えて、
これからの日々を大切に慈しむという気持ちを、こぼれそうになりながらもなんとかつないでいきたい。